心理検査の勉強法ー初心者からのロードマップ【体験談から】

カウンセラー5年未満の人向け
この記事を書いたのは・・・
nachi

国立大学院の臨床心理学専攻を卒業し、現在臨床心理士、公認心理師の資格をとり、クリニックや学校で勤務中。
精神科病院、クリニックにおける経験を5年以上。
スクールカウンセリング経験あり。
最近ブログ学習中。

nachiをフォローする

こんにちは、現役臨床心理士・公認心理師のnachiです。

「心理検査の勉強ってどこまでしたらいいの?」「どうやったらうまくできるようになるの?」など疑問に思う人は多いのではないでしょうか。

それもそのはず。心理検査各種のマニュアル本や解釈本は世の中に多く存在しますが、「どこまでできればいいのか」はっきり示したものはなかったように思います。

 

私は精神科や心療内科、教育分野で心理検査を実施することが多いです。特に、知能検査や投影法。描画法は学生の頃から10年以上実施しています。

そんなnachiが心理検査習熟のロードマップを解説します。

この記事を読むことで、心理検査を行う技術者としての成熟がわかるはずです。

※ちなみに、公認心理師や臨床心理士試験の試験勉強の、心理検査分野について関心のある人は、公認心理師試験に出る!心理検査の勉強法【優先順位を★で分類】をご覧ください。

スポンサーリンク

心理検査のゴールは受ける人の実益である

さっそくですが、心理検査のゴール(目標)は、どうあがいても、「心理検査を受ける人(被験者)の実益」です。

「どこまでできるようになったらいいんだろう?」という問いに対する答えとしては、「十分に利益を提供できるようになるまで」といえます。

心理検査の実施目的は、様々あります。

医師の診断の一助として。現状の把握を時短で、誰にでもわかる客観的な物差しで測るため。自身や周囲の理解・環境変容の根拠として。課題点やストレングスを明確にして将来性をみるため。

様々ありますが、これらは全て、被験者の利益になることが最終的な目的です。

状況によっては、心理検査を実施することが、目の前の人を可哀想にしているように見えることも、たしかに、あります。

その場合は、心理検査自体ではなく、心理検査を、今、実施することをめぐって、検査者を含めた関係者どうしの認識のズレがある場合が多いです。

例えば、高齢者の患者さんに認知機能検査を行うことをイメージしてみましょう。

「今日は何日ですか?」「ここは何というところですか?」・・・

誰しもわからないことを聞かれることは嫌なものです。高齢の患者さんは不安になって、イライラしてくるかもしれません。もしくは、馬鹿にされていると思って、答えてくれないかもしれません。

いずれにせよ、あまりうれしい経験ではないはずです(被験者の立場)。

しかし、背景に、いつも本人が家族に攻撃的になってしまったり、それによって家族が介護にくたびれ果ててしまっていたりという事実があったらどうでしょう。この状況を打開するための病院受診で「心理検査を受けてください」と言われたら(被験者家族の立場)。

初診であったとしても、診断、対応が急がれます。それには、認知機能検査の行動所見、認知機能の程度が必要になってくるわけです(オーダー者の立場)。

考えてみるとわかるように、立場によって、検査の実施に対して目的や考えが異なります。

だからこそ、私たち検査者は、オーダー者や本人、本人家族の板挟みとなりながらも、実施前にオーダー者と話し合い、目の前の人の意向とすり合わせを行う必要があります

このゴールは、心理技術者として、常に意識していなければならないと思います。

心理検査学習のロードマップ【私の経験から】

では、「十分に利益を提供できること」を目指すとして、いきなり、すべてうまくできるでしょうか。

こたえはNOです。

何かしらの心理検査を実施したことがある人なら、これは、感覚的に理解できると思います。

「なんかうまくいかないな…」「解釈本は理解できるけど、実際に検査所見を書くと、言いたいことが伝わらないな…」と。
だからこの記事を読んでくださっているんだと思います。

ここでは、私が10年以上心理検査に携わってきた経験から、心理検査のスキル習得のロードマップを示したいと思います。

扱う心理検査の複雑さや知識量などによって、習熟にどの程度時間が必要となるか、各段階にかかる時間などが変わってくるとは思います。そのため、「時間」は記載していません。

しかし、基本的にどの心理検査にもあてはまるロードマップだと思います。

表の網掛け部は、自発的な試行錯誤であり、次の段階に関係する部分です。
⇨すむきっかけになった経験や行動が、どこに影響を与えたかを示しています。

※初めに断っておきますが、これは完全に私個人の体験です。つまり、「n=1である」ことをご理解ください。しかし、私の心理師・士仲間にみてもらったところ、おおむね賛同を得ることはできているので、大きく間違ってはいないと思われます。

1.~3.実施・解釈を「質より量」で繰り返す時期

この時期は、実施と解釈のそれぞれを、また、実施から解釈という流れを繰り返し、スムーズに行うこと自体が目的になっている時期です。

段階をあえて分けたのは、経験として分かれているように感じ、ある検査について初心者からのロードマップを示すうえでは、経験の部分が大切であるように感じたからです。

1.の段階として、もちろん最初はひたすら練習が必要で、まず実施がたどたどしく、解釈も妥当性が疑われるほどの出来栄えといっても過言ではないと思います。

それが、2.になると、まずは実施がスムーズになってきます。
被験者と軽い冗談を交わす余裕も出てくるでしょう。しかし、もちろん、実施後の解釈には時間がかかり、実施の段階と解釈の段階というものは明確に分離しています。だから、感覚としては、「解釈って大変だなあ」、「この後解釈かあ…どれくらい時間かかるんだろう…」と憂鬱になります。

そして、3.の段階に入っていきます。
実施も解釈も、とりあえずは流れとしてできます。しかし、疲労感とあきらめがいりまじり、「無」に、日々の検査を「こなす」時期があり、ここがとてもしんどいです。

4.~5.実施と解釈の境界があいまいになる時期

苦しい3.の段階をある程度こなしていくと、解釈で重要な項目がわかってきます。

すると、「実施してから、解釈をする」と明確にそれぞれが分かれている状態から、「実施しながら解釈をする」という時期に移行してきます。

WAISなら、例えば、実施しながら、「下位検査でこれくらい点数とれてれば、『言語理解』はこれくらいになるから、『処理速度』の点数と合わせて解釈でメインになるかな」とか「手遊びをしている・貧乏ゆすりを答えられないとしているのは行動所見かな」とかです。

の段階が4.であり、このような判断を毎回の検査で適切に行いたいと思うようになります。

そうすると、5.の段階として、実施時にある程度の解釈ができるように、自分なりの工夫を始めます。

例えば、ロールシャッハ・テストやWAISの記録用紙のすみに、えんぴつでWやFcの出現頻度を書いてみたり、被験者の年齢層の平均を書いてみたり…などです。

自分の発見や学びを次にいかすことができ、全体としてのスピードも上がるため、心理検査が少し楽しく感じられるようになってきます。被験者の人を気遣って優しい言葉かけを行ったり、検査のヒントにならない範囲のジョークや質問を意図的に行ったりする余裕が出てきます。

6.~7.検査から検査目的に意識を向け始める時期

5.の工夫が増えていくと、着実に自分のスキルがあがっているかのような感覚になります。

すると、「検査を行うこと」に向いていた意識が、次第に、「検査を行う目的」に向くようになってきます。それがこの6.と7.の時期です。

6.の段階では、実施の時に行っていた解釈と、持ち帰ってゆっくりと解釈した時の内容が的外れだったり、オーダーに応えるための所見を作成するときに、どうしても枝葉末節になってしまったりすることがよく起こるようになります。

「よく起こる」というのは、正確に言うと、「よく起こっていることに気付けるようになり、気にかかるようになる」といえると思います。それまでも、生じていたことだったものの、そのことに気づく余裕がなかった、あえて気にしないようにしていた部分であったはずです。

成長であることは確実なのですが、「できてきた」と自信をつけてきていた分、やはり、ちょっと落ち込みます。

そして、オーダーに応えることを目的に据えて、検査の実施から行うことができるようになります。この段階になると、実施、解釈がある程度できる実力がついているため、すんなりとできます。

7.の段階として、医師や教師、コーディネーターからのオーダーに応えることができる反面、検査を受ける被験者や被験者家族、病棟や特定の状況における、解決策や予見を提供できていないことに気づいてしまいます。

ちなみに、教育現場にいると、この段階の検査所見に出会うことがとても多いです。

かかりつけやセンターで検査を受けてきて、ご家族が心理所見を学校に持参してくれる。
見せてもらうと、「この検査所見を家族が、学校の先生が見て、何をどうすればいいってことなんだ?」「被験者の利益はどこだ?」と感じてしまいます。「これ受け取ってなんて言われてきたの?」と問うと、「発達障碍の可能性があるって」という状態で、本人は、家族は留まっている、ということが多い。とても、かわいそうなことです。

仕事に真面目な検査者なら、「自分は何のため、誰のために心理検査をしているんだろう…」悩む、苦しい時期です。

8.検査目的に応えられる時期

現状、私の中で、7.と8.の段階はあいまいです。それは、今でも日々迷いながら私は検査を行っているからです。

しかし、その検査と検査の限界、検査目的と現実場面や現実問題を、オーダー者や本人、本人家族、本人を取り巻く環境などの関係者間の事柄として扱うことができるようになることが、明確に7.と異なる点だと思います。

それには、病棟での様子を多職種と頻繁に観察、共有したり、詳細にききとりを行ったりなど、検査外の情報収集に努め、検査時との比較検討、考察、多職種とのすり合わせが必須だと思っています。

8.の段階までくれば、少なくとも、先にあげた例のようにはならず、「被験者に実益を提供する」ことはできるようになるはずです。

『臨床心理学大事典』の中で、高石浩一さんは、次のように記述しています。

シャルコーやクレペリンが…略…彼らにとっても心理テストは、魔訶不思議な生き物である人間を知るための、一つの手段であったに過ぎない。(両者は臨床心理学や精神医学の歴史上、重要な人物)

よりよく知るためには、いかに多くを引き出すがよりも、いかに多くを読み取るかという姿勢でテストに臨む方が、概して実り多い。
いま、ここに存在している被験者を知ることとともに、心理テストを施行する目標として予見性を模索することがあげられる。この被験者と治療を進めていく場合に、どのような展開がありうるか、何が障害として起こりうるか、将来的に生活の糧となりうる能力は何かなど、それがあくまで可能性に過ぎないものであっても、指針を得ることのメリットは大きい。

【心理テストの目的】(p448~449)

誰でも、「自分という人間を知りたい」という心情は持っているものです。

心理検査は、誰に対しても、その人のある側面についての新しい見方を提供できるツールであることが強みだろうと思います。

心理検査というツールを被験者が最大限利用できるよう、検査者は学んでいく必要がありますね。

 

今回はここまで。

おわり。

コメント

タイトルとURLをコピーしました