カウンセリングが中断する理由とヒント【クライエント視点】

カウンセラー5年未満の人向け
この記事を書いたのは・・・

国立大学院の臨床心理学専攻を卒業し、現在臨床心理士、公認心理師の資格をとり、クリニックや学校で勤務中。
精神科病院、クリニックにおける経験を5年以上。
スクールカウンセリング経験あり。
最近ブログ学習中。

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こんにちは、nachiです。

患者さんで、「○○カウンセリングルームに行ってみたけど、合わなくて…」という人に出会うことも多くなってきました。中には、「合わない」ことが一つの対処の人もいますが、それは感覚的には10人に1人くらいです。今回は、カウンセリングの初回もしくは数回で中断しまう理由とコツをまとめました。

対象者:カウンセラーとしてスタートしたものの、突然来なくなる人

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カウンセリングが初回もしくは数回で中断してしまう理由5つ【クライエント視点】

カウンセラーとして、クライエントと話し合って決めた「終結」ではなく、突然来なくなる「中断」は、いつも反省や後悔があります。でも、一度来なくなった人は、ほとんどもうお目にかかることがありません。だから、カウンセラーとしては、何が悪かったのか、よくわかりませんよね。

今回は、他のカウンセリングルームから移ってきたクライエントで、無事終結した人が教えてくれた理由を5つあげてみます。

➀費用対効果が薄い

なんといっても、カウンセリングは高いです。相場では、7000円~2万円ほどします。

臨床心理士や公認心理師などのカウンセラー的な職種が専門性が高いといわれており、習熟するまでにコストがかかっていることと、医療報酬の範囲外であることが大きな理由です。

ですが、クライエントはバカではありません。高いからという理由だけで、駄々をこねているわけではないです。
彼らの言い分はこうです。

「高いのはわかった。だけど、それなら、『ちゃんとしてくれよ』!」

人間は、自分の払ったコストに見合わない場合、「裏切られた」、「無駄だった」と感じます。
コストで一番わかりやすいのは、お金や時間です。

つまり、「ちゃんとしてくれ」の「ちゃんと」は「ちゃんと治してくれ」、「ちゃんと変わるヒントをくれ」、「ちゃんと聞いてくれ」なんです。

②クライエントとカウンセラーの前提が違う

twitterで以前つぶやいたことですが、多くの場合、クライエントとカウンセラーは前提が違います

https://twitter.com/nachi23458952/status/1396329019696504837

多くのクライエントにとって、専門家に「相談する」ことは悩み解決のための対処行動です。

つまり、「専門家に相談しさえすれば、問題は解決する」と、少なからず思っています

③主訴が扱われない

これは、主訴、ニーズ、困りごと・・・いい方は様々あると思いますが、要は、カウンセリングの目的が、最初からクライエントとカウンセラーの間でズレてスタートして、終わりが見えないためにおこります。私は医療畑にいるので、ここでは、主訴という言葉を使わせてもらいます。

例えば、以下のようなものを主訴としてカウンセリングを開始されることが多いようです。
「気分の上がり下がりがあって、どうしたらラクになりますか」
「薬を使わずに眠れるようになりたい」
等です。

問診表とかききとりシートとかで記入ありますよね。

ここから導入していくことが多いと思いますが、多くのカウンセラーの場合、「ここに『気分の上がり下がりがある』と書いてありますが…じゃあ、話せるところから話してもらって…」と導入し、その後、④や⑤に流れていくことが多いようです。

あとで述べますが、クライエント側から自発的に出てくる主訴をそのままカウンセリングの目的にするのは、不適切であることが多いです。

④ほしいものをくれなくて、さらには、いらないものをくれる

先ほどの例を利用しましょう。

導入後、クライエントは、「話せるところから」話していき、カウンセラーはきいていく。
もちろん、時折カウンセリング的な相づちや質問をしながら。
「どんなことがきっかけで気分があがったり下がったりするんですか?」
「そんなにつらいことが…その時はさぞ落ち込んだでしょう?」など。
そして、セッションの時間がきて、「では、次回のご予約はどうされますか?」と。

上記の例は極端ではありますが、この場合、クライエントは「ラクになる方法が知りたくて」質問に答えていたのに、話していたらいつの間にか次回の予約の話をされている…という構造です。

例のように、傾聴だけじゃなくアドバイスが欲しい人はいます。逆に、傾聴してほしいのに、叱咤激励されてしまう人もいます。「たくさん話したけど、お金を払って…私は一体何の時間を過ごさせられたんだろう?」と思います。

⑤質問攻めにされ、見解がない

これは、④と通じるところがあります。せっかくなので、再利用しましょう。

「じゃあ、○○の時はどの程度落ち込んだんですか?数値で言うとどれくらいですか?」
「今までも同じくらい落ち込んだことがありましたか?」
など、私たちは聞きますよね。大事な質問です。

しかし、それは、クライエントにとって、今大事なことではないんです。
言い換えると、その質問は、「今」のクライエントにとって、枝葉のところであることが多いんです。

だから、
「今までも落ち込んだことは、そりゃあったけど…なんで今聞かれたんだ?」
「聞いておいて、一人で納得してるけど、それって普通じゃないのかな?」
と、思います。

どうでしょう、ドキッとしたんじゃないでしょうか。

私たちが大学院やスクーリングで学んだことと現場には溝がある

私たちが学校で学んできたのは、主に傾聴や診断的な質問方法、アセスメント方法など、有用なことはもちろん多かったです。
カウンセリングとは何か、どうすると人はこころを開いて話しやすくなるのか。

しかし、現場に出ると、それだけでは足りないし、無言で去っていく人も多いです。
私も、何度か来室したのち、次第に次回の予約をしていかなくなって、そして日が空いていき、ついには連絡が途絶えてしまったクライエントがいます。

どうやら、「カウンセラーとして…」ということ以前に、もっと一般的で、大切な「会話」を求められているんだと私には思えます。

カウンセラーに求められるのは、”あたりまえじゃない会話をいかにするか”よりも、”あたりまえの会話ができた上であたりまえじゃない会話もできること”だと思います。

ドキッとした人へのヒント【カウンセラー視点】

➀費用を下げるか、圧倒的に努力する


多くの場合、カウンセリングの料金は高いです。その分期待値が高いことはすでに書きました。

だから、まず、自営業なら料金を下げる。自分が与えられる価値が相手の期待値に見合わない人が多いと事実を受け止めるのは、必要な落ち込みです。
次に、従業員なら、③に注力し、努力するのが先決だと思います。

②クライエントの前提とカウンセラー側の前提をすり合わせる

クライエントは、治してもらおうとしてきています。

「問題を解決するためにいろんなことをやってきた。だけど、うまくいかなかった。
自分には解決する能力がないんだ(自分は病気なんだ)。
だから治してもらおう。」

なんです。至極当然な思考回路ですよね。

しかし、私たちが学習してきた・していることは、違いますよね?
私たちは、うまい傾聴の仕方、それこそ「ちゃんと話を聞く」技術を学んでいます。また、人は自分の力で解決に向かっていく力があるため、他人の傾聴によって再び生きる力を取り戻す・・・と考えています。

この違いがあることを、いつもいつも考えておく必要があります。

カウンセリングは大なり小なり、クライエントの認識や行動を変化させることを目的にしています。
それは、クライエントの、カウンセリングに対する前提も対象です。

③主訴は、過去、現在、未来を含んだ、明示的なものにする

クライエントからの主訴をそのままカウンセリングの目的にするのは不適切だと述べました。

もう少し補足します。クライエントからの主訴は、未来まで入っていなかったり、「治してもらえる」ままの認識であったります。

問題点は、クライエントが誤解したままになったり、カウンセラーを過度に尊敬してしまったりすること、また、ゴールが見えず、カウンセリングの終わりがはっきりしないこと、そのために無駄な金銭的・時間的・心理的コストがかかってしまうこと、などです。結果、中断します。

カウンセリングの目的を話し合って決めるコツは、「○○について、どうやってきて、どうなって、だから・だけど、どうなりたいか」です。

例えば、
「自分の怒りっぽいところは昔からあって、ずっと親からも先生からも注意されてきた。だけど、自分ではどうすることもできなくて、今も子どもの些細な事でイライラして怒ってしまう。このままだと、子どもは委縮してしまうのではないだろうかと不安。自分で怒りをコントロールできるようになりたい」
などです。フィクションですが。

④⑤話をきけていない

これは、学生の時にさんざん言われるフレーズでしょうし、私も今このフレーズを自分が使っていることにやや驚きです。

余談ですが、学生の頃は、「耳ついてるもん、きいてるよ!」と本気で思ってました。
そして、「聞き流してる」とか、「重要だと思ってるところをわかっていない」とかいうくらいの意味だと思っていました。

しかし、「話をきいていない」の意味は、今の私が表現すると、クライエントの発言が、質問なのか、疑問の態度を表してるのか、感情の表現なのか、などを読み間違えている、ということなのだと思います。

具体的に話しましょう。

例えば、「どうしても先生が私を責めているような気がするんですけど…」
とクライエントが話しだしたとします。もちろん話全体の流れはあるでしょうが、ここでカウンセラーとして話をきくとき、一番きかなければならないのは、どのポイントでしょうか。

先生が私を責めている?
責めているような気がする?

私の考えでは、「けど」以降の「…」の部分です。

なぜなら、「どうしても先生が私を責めているような気がするんですけど」はすべて前置きで、クライエントの主張は逆説以降のはずだから。

小・中学校の国語の評論文の読み方とかの単元で習いましたよね。あれです。

「~けど、私の思い込みなんでしょうか」なのかもしれないし、「~けど、そんなわけはないのはわかっているんです。私はどこかおかしいんでしょうか」かもしれません。

ここで、上記の他のポイントに最初に注目してしまうと、「認知が歪んでいる」と安直に判断したり、「『気がする』とはどういうことですか?」とさらに問いただして…などとなったりする。

内容的には大きくずれていないような気がしますが、クライエントの意図からは徐々にすれてしまうか、遠回りしてしまうリスクが高いんです。

だからまずは、接続詞に注目することが大切です。
特に注目するのは以下の通り。

・順接(理由→結果)
だから、それで、
・逆説(後半が意図)
だけど、なのに、でも、にもかかわらず、
・説明
なぜなら、だって、というのも、なんでかっていうと、
・話題を変える
ところで、話はかわるんですが、そういえば、

もちろん、私たちがよく習った、「感情に注目する」のはその次に大切だと思います。

もちろん、ショッピングする人もいます

もし、あなたのカウンセリングに来る前に他のカウンセリングルームを去った歴史のあるクライエントだったら、
「なぜ行かなくなったのか」を詳しく聞くことが必要です。

それが、カウンセラーとの人間関係が原因で、かつ、責任を自分以外に全て押し付けるようなら、カウンセリングの目的について再合意が必要なことも多いです。感覚的には10人に1人です。

それでも、クライエントの「中断」は、カウンセラーへの無言の諦めです。カウンセラーはそこに向き合っていく必要があります。

また、「そろそろ通うの終わろうと思うんです」とクライエントから切り出されることも多くあります。これは、今回は取り上げませんでした。完全に合意できるときもあれば、そうではないこともあります。

ここの取り扱いは難しいですが、切り出してくれたことに対し、カウンセラー側が自己開示する誠意は必要だと思っています。

長くなりましたが、終わりです。